悪意フィルタ

学生時代からの友人とのちょっとしたやりとりで。

「悪意フィルタ」

という言葉が出てきまして。なんだかすごく合点がいったのです。

同じアイドルを見ても「かわいい」と思う人もいれば、「あざとい」と思う人もいて。

ものの捉え方は人それぞれなんですよね。いまさらだけど。

心身の健全のためには多少の毒も必要だと思います。いい歳して世間知らずなのもみっともないですしね。

同じものをみても同じ人に会っても、悪意フィルタを通してみたら裏側の汚いもの、醜いものが見える。

それもきっと真実なのでしょう。

そういうものをこれまでの人生で持ったことがなかったので、初めてそのフィルタを適用したときは、ちょっとした感動すら覚えました。

結果、それまでなんとも思っていなかったのに、ちょっと嫌いな人や、ちょっと苦手な場が増えました。視点を変えて見える風景は新鮮で感動的だけど、じゃあそれで幸せになるかといったら、全然ならない。

私は、なるべくハッピーでいるために、毎日見える風景も毎日会う人も、できれば、よいほうに受け取っていたいです。

自分で自分をハッピーに保っておくの、大人のたしなみだと思うので、自分を機嫌よくするためのスイッチをいつでも入れておきたいなと。

最近Apple Musicにまんまとハマっていて、お任せのプレイリストから流れてくる音楽に新しい扉を開いてもらっていましてね。

放っておくとインド映画の流行ソングかスピッツしか聴かない偏った趣味の持ち主なので、こうやって違うテイストのものに嫌味なく触れることができるのはいいなと思います。


余談。先日、夜が開けたばかりの薄明るいなか、「やる気が出てくるアップチューン」というプレイリストを聴きながらひと気のない都心を歩いていたら、ついつい本気で踊り出してしまいまして。ひとり朝クラブ? ひとりフラッシュモブ? なんでしょう、東京の街も早朝は気持ちいいんですよ。

登る朝陽を浴びながら型も作法も関係ないデタラメな踊りを無心に踊って汗だくで超いい気分!

ふと見たら、おじいさんがポカンとこちらを眺めていました。背脂の乗り切った43歳、たいへん恥ずかしかったです……。


本来的に、汚いものや醜いものばかりを見ていて楽しい人っていないと思うのだけど、なぜわざわざそちら側ばかり見るのだろう? と不思議で不思議で。

友人いわく「長年かかってきた悪意フィルタは他人が外すことはできない」。

そうなのか。うーん。王子様がひょいと奪っていくことが、あればいいのに。