プレミアムマンデー♪

おはようございます。いやもうお昼すぎてますけど。今日は家事と休息の日なのでいいんです。朝、子どもを送り出してから絶賛うたたねしました。気分爽快。

プレミアムフライデー、終わりましね。たった3時間を「せーの!」で仕事終わらせて会社を追い出したところで、大半の人はたいしたことできないと思うのですが、いかがでしょうか。

前職では毎年8月中は「1週間のうち1日は、周囲と上司の了解が得られれば10時出社か16時退社をしてよし」となっていました。他人の休みにケチをつけると自分が休めなくなるから極力だれもだれかの休みに反対しないという素晴らしい(笑)外資系カルチャーが根づいており、おかげさまで私は取得率90%くらいはいっていました。歯医者に行ったり子どものお迎えを早めて夕食をいつもよりちゃんと料理したりなど、ジミィ〜ではありますが有意義でしたよ。

時間を与えられたところで、即、消費拡大にはつながりませんよね。だって、時間があるなら、できていない水回りの掃除とか、読めていない保育園のお便りの整理とか、しまえていない洗濯物の山とか、そういうものを片づけたいと、私は思っていましたし、実際、週に2時間程度の「プレミアム」は、そういうことで使い切りました。

フルタイムで働き、保育園児の母だった私の場合、まっとうな消費拡大へのロジックは、下記のとおり。

1) 生活の基礎をこなし、脳みそにほかのことを考える余地ができる
2) 家族と業務連絡以外の話ができ、友人と心きなくおつきあいができ、心が潤う
3) どこ行こうあれ食べようなにしよう、という余剰が生まれる

率直な感想として、前職の週1プレミアム2時間では、できるのは(1)の前半まで。お掃除してくれる人やシッターさんを雇っている人もいたけれど、我が家の場合は、シッターさんはお願いすることもありましたが、定期的な家事サービスを頼んだりするには、経済的にもう一歩足りませんでした。

上記(1)が満足にできないというのが、私にはとても大きなストレスでした。家族との業務連絡以外の日常会話はほとんどなく、忙しすぎて友人と会う時間もなく、だれかを招ける状態にはないゴミマンションで暮らし、職場も私のインド体質とはまったく違うベクトルのお仕事でした。日々の生活のなかに心が潤うことがないため、ネット通販でちょっと目についたほしいものをパッと買ってしまったり、雰囲気のいいスパに高いお金を払って行き結局寝てすごして終わったり、インドへの家族旅行に分不相応な大金を投じたり。

ハタからみたら、一見(3)ができているように見え、たいそう景気のいい模様だったと思います。おまけにそういう費用や生活費は自分で稼いでいたという自負があるから、鼻持ちならない女でもあったことでしょう。お金がないとできないことをたくさんできたのはよかったけれど、おかげさまでお金はなんにも残っておりません(笑)。

これでは幸せを感じることができないと気づいたのは何年前だったか。すっ飛ばして(3)を強行しても、(2)という手順を踏まない限り、幸せではなく。迫りくる住宅ローンその他生活費教育費の重圧と戦いながら、ではどうしたら自分は幸せを感じるだろうかと、長いこと考えました。真剣に。

いまやっとすこし道を拓きつつあるなかで痛切に思うのは。

働かないと行きていけないのであれば、自分がおもしろくてしかたがないと思うことで生活していけるのが一番幸せである。

ということです。好きなことはどれだけやっても辛くないですし、そういう人の周りには自然とストレスのないよい人間関係ができていきます。

私はこんな変な人間であるにもかかわらず(多少は自覚あります)、学校にも行き勉強もわりとよくでき、途中はみ出したけれども普通の会社員にもなりました。世間が「常識」というところに同化しようと一生懸命でした。

でもね。私には鈍感力という素晴らしい才能があるけれども、いくら鈍感でも、自分の本質と違う場所でずっと生きていくのはしんどかったですよ。途中はみ出したところが自分の本質で、そこに戻りたい、戻りたいけど戻れない、そんなジレンマが長年続いていました。

ほんとうは義務教育で「どうしたら幸せに生きていけるのか」を自分の頭を使って戦略的に考えさせる教育をしなくてはいけないと思います。よい学校を卒業して、よい会社に入って、よいお給料をもらうことが幸せというのは、インドならわかるけれど、この「ゆたかな」日本国にあってはひじょうに貧しい発想ではありますまいか。

だれでも好きなことのひとつやふたつ、得意なことのひとつやふたつはあるはず。それを見つけ、伸ばし、生活の糧とする知恵をつけたら、わざわざお上に制定されずとも、毎日がプレミアムになるんじゃありません?