天竺への距離

家庭の事情により幼少時から日本国外にはわりと行っているほうですが、がっつりとその地に腰を落ち着けたことは、あるようで意外にありません。

「住んだ」といえる国は、ブラジル、マレーシア、インド、イギリス。長くても3年程度で、ちゃんとした社会的意義があったのは父の仕事の都合だったブラジルだけ。

あとは留学だったり遊学だったり、立ち位置の定まらない、なんの後ろ盾もない学生だったり長期滞在旅行者だったり。

ちゃんとした仕事やインド人との結婚でがっつりとインドと関わっている人と比べたら、なんて浅い関わりなのだろう、と思います。

年に4回程度の渡印は普通に考えたら多いのでしょうが、生活の基盤は完全に東京なので、インドで暮らすことにともなうありとあらゆる不便や不愉快からは逃れています。

私の心の師匠は「最低でも20年間は暮らさないとインドは理解できない」と仰っていたっけ。

距離を保つことでいいところだけをポジティブに見られる一方、懐に入りきったわけではないので、師匠がいう「理解」はやっぱり遠いのです。

娘の進路がある程度定まるころには、もっとがっつりインドに入り込んでワーワーギャーギャーやっていたい。老後のためにも。

うんざりすることも多いけど、これほど惹かれる国もそうそうない。振れ幅大きすぎ! といつも思いますけど、結局「好き」のほうに振り切れるんですよ。

話変わって。

初インドから21年目、今月は一気にいろいろと動き出した月でした。

女性のためだけにつくったインドの入門ツアー。

突然決まった某映画関係のツアー。

試作に明け暮れた旅とインドの物販関係。

女性に向けたインド旅の講座第二弾。

インド絡みの適材適所の人探しに奔走が数件(これは前から)。

古典舞踊の昇級試験が終わって新しいクラスへ。

収入としてはまだまだ話にはならないレベルだけど、おかげさまで、やりたいことをやれています。

奔走についてはもうまったくボランティアなのですが、データベースがあるわけではないインド人脈はとにかく人の繋がりが要。

ひと言で「インド関係」といっても、当然ながら、政治経済、学問、言語、芸術、食、ツーリズム、ありとあらゆる分野があり、かつ、対象者の人生を左右するようなハイレベルな人探しもあれば、ちょっと用事を頼みたいというローレベルのものもあります。

ほぼ毎日、たいして知らない、ただそのとき必要があって電話番号を教えただけのインド人から、よくわからないメッセージが届きます。インドの各宗教の祭り時期などはもう呆れるほどたくさん写真や画像やメッセージが届きっぱなし。

こうやってマメに人とやりとりしているからこそ、いざというときにどこからともなく適材が見つかる、おそるべきインド人ネットワークがあるのかなとも思います。

インド人の「聞くだけタダ、ダメ元で言うだけ言ってみる」精神は本当にあっぱれで、その図太さ(褒め言葉です)があればこそ類い稀なる能力を発揮するのだと思います。

が、私もこれでもしょせんは真面目な日本人で、ダメ元程度で言われたにすぎないような案件に、がんばって奔走してしまうわけですよ。

丸投げで困り果てたり、走り回ったあげくに「あ、あれもう解決した」とあっさり通告されて気が抜けたり。

また振り回された……。

そんな思いの連続。でも本当に嫌で迷惑ならやらなければいいだけなので、結局、やりたいんですね。はっきりいってなんの得にもならない人探しで、なぜかわからないですけど。

インド諸語もたいしてできず、なにか特定の専門分野があるわけでもないインドとの関わりかたに情けない思いをすることも多いです。

でも専門家は専門家で限られた世界にいます。

この広いインドの海でふらふらと半端にあちこち手を出しているぶん、ニーズに合わせたマッチングをしていけるかも……というのが、私の強みに、なるといいなあ。