脳みその余裕

昨年の退職時はまだ、専門職バリキャリ(そういうつもりはなかったけど世間的にはきっとそう)をトーンダウンして、どこかでゆったり働きながら印活(いまつくった単語だ!)することを考えていたのですが、ハローワークでも、民間の転職サイトでも、求人を見れば見るほど、なんだかもうしわけない気分になっていきました。

人を雇うということには責任が伴います。一方で、働く側は時間を切り売りした対価としてお金を手に入れます。

雇う人と雇われる人が相思相愛ならいうことなし、ハッピーな関係といえます。

けれど、実は自分でなにかをしたいのに、生活のためにしかたなく雇われるというのは、雇う側にとっても、雇われる本人にも、あまりいいことじゃありません。そういう人、たくさんいると思いますが。

専門職だったので年齢はあまり関係なく、条件の良し悪しはあれど職がないということはほぼありません。でも、一大決心をしてせっかく退職したのに、また「しかたなくワーク」をするのでは、雇ってくださるどなたかにも、一緒に働く人たちにも、とても失礼なのではないか。

我が家は私が大黒柱で、私がお金を稼がないと回らないと思っていました。主婦が旦那さんのお給料で生活が保障された前提で、趣味で副業するのとは違う、と思っていました。

でもですねえ。

正味にしたら1か月ほどでしょうか。常に時間に追われ、先へ先へと脳内シミュレーションを働かせていた生活の後遺症なのか、毎朝、ソファに寝転がって天井を見上げて、気がつくと夕方になっているということが続きました。家事はまったくできません。

テレビも見ないし本も読みません。うたた寝はしたかもしれません。でもただソファに寝転がってあっという間に何時間もすぎていました。熱があるわけでも、どこか具合が悪いわけでもなく、ただただ動けなかったのです。自宅で仕事をしていることが多い夫が心配してときどき声をかけてくれましたが、ろくな返事もしなかったと思います。

不思議と、働かなくちゃ、お金を稼がなくちゃ、という焦りはありませんでした。

そしてある日、唐突に。

動けるようになったのです。みなぎる力とともに。

また雇ってもらうということにどこかモヤっとしていた気持ちはいつのまにか消え、主婦の副業が云々といったこだわりも消え、ただ、「しかたなくワーク」をせずとも、きっとなんとかなるだろう、という根拠のない前向きな気持ちだけがありました。だから求職活動はここでおしまい。

その後、私はあれをしよう、これをしよう、たくさん湧いてくるアイデアをまとめていきました。年間予定表やら、達成目標やら、ビジネスの基本理念など、サラリーマンだったころに叩き込まれたお仕事の基本を、会社のためではなく自分のために書き出しながら。

あの廃人のような1か月は、きっと、長年の脳みその疲労をとるために必要な休養だったのでしょう。なにもいわず家事をしてくれた夫よありがとう。同居を始めてから10年、初めて心から感謝したかも(笑)。