経験値は裏切らない

一番最初にダンスに出会ったのはブラジルの幼稚園でのこと。

帰国後はバレエとジャズダンスを習い始めた。ミュージカルの舞台とミュージカル映画が大好きで、いつかブロードウェイのミュージカル女優になりたくて小学5年で英語の勉強を始めた。

毎朝6時に起きてNHKラジオの英語講座を聞き続けた。

身長が伸びなかったり、練習に打ち込めば打ち込むほど我が短い筋肉はモリモリ逞しくなってしまったりと、とにもかくにも体型のコンプレックスが強く、ミュージカル女優路線は断念。

時はすでに高校2年。大学進学するなら国公立のみという家庭の方針なのに理系の科目はほぼ全滅。平均よりできる科目が英語と国語しかない……。

というわけで外国語大学に進学したら、学風なのか、先輩たちはガンガン海外に貧乏旅行に行っていて、当然のように私も自分の旅デビュー。

幼少時に海外で過ごしたのと、親が旅行好きだったため、海外旅行はさして珍しいものではなかったけれど、自分の能力をフル発揮してあちこち行くのは楽しかった。

専攻地域のインドネシアを始め東南アジア中心に、休みのたびに旅三昧。東南アジアの芸能に触れるうち、どうにもこうにもルーツがインドから来ているものが多く、インド映画と出会ったこともあって、23歳で初インド。

新卒の就職は超氷河期時代。

最初の大学と外国語大学とで、あいだに留学と休学を挟んで合計7年かかって卒業、大学の先輩に誘われてレアなツアーばかり主催する旅行会社に就職。25歳の、若干フレッシュさに欠ける新卒。

添乗業務は水を得た魚のように楽しかったものの、内勤は常に残業続きで疲れ果てた。

1年で退職。

旅とバイトのその日暮らし5年。

年棒につられて外資系証券会社に就職。金融にはまったく興味がないまま仕事はそれなりにやりがいもあり、家庭の事情もあって退職できず10年経過。

小さい子どもを抱え仕事はフルタイム以上の猛烈に多忙な生活。

40歳すぎて、人生の折り返し地点に来たなという実感とともに、会社の仕事に注ぐ情熱があるなら自分が好きなことに注ぎたいと思い、退職。

いろいろなことが中途半端で、なにひとつ「極めた」といえるものがないのが悩みだった。

しかし、です。

海外渡航や滞在経験が充分あり、お客様をお連れするツアーの添乗経験があり、インドというちょっと難易度高めの渡航先に20年以上通い、そしてインド映画に魅せられていて。

どんな道にもプロがいて、首を突っ込んだすべてのジャンルで半端者の自分にずっとモヤモヤしていたけれど。

煮ても焼いても食えなさそうな経験が、ここに来て強みを発揮し始めた気がする。まだまだ学ぶべきことはたくさんあり、未熟なままではあるけれど。

渦中にいると気づかないことが多いと思う。でも、過ぎてみればなにごとも無駄はないと思う、ほんと。

本日の一枚はモスクワの赤の広場の聖ワシリー大聖堂。

2006年、ロンドンから陸路と海路で3週間かけて帰国したときのもの。