客人は福の神?

インド農村部の多くの人たち、とくに女性にとって、ふらっと街へ出かけたり、デリーやムンバイのような都会、ましてや外国に自分の意志で行くことは、残念ながらいまはまだ夢のまた夢……というのが現実だと思う(都市部はまた事情が異なる)。

デリーにいる私の親しい友人たちはみな外国人馴れしているし付き合いも長いので私の性格もよく知っている。

「空港に着いたんだけど荷物多いから迎えに来てよ」と電話しても「きみそんなの自分でなんとかできるでしょ」と実に冷たくあしらわれることも多い(よくある笑)。

でもデリーより遥か彼方の彼らの故郷を訪ねるとなると、事前に言おうものなら大変な騒ぎになる。鶏は潰すし、なんなら山羊も潰したてのほかほかしたのを買ってくるし、さらに奥地から親族もローカルバスを十数時間も乗り継いでやってきたり。

着いた途端に財布を開くことは許されず、つまり一切合切はあちら持ちで事が進行し、家で一番いい部屋があてがわれ、朝はすごい寝相で寝ているところへチャイが運ばれてくるし、どこへ行きたい何をしたいなどと言おうものならお付きを数人引き連れて行動することになる。

私は何者でもない空気みたいな旅人としてカメレオンのように擬態してこっそり旅するのが好きで、だからスッと馴染める都会が好きなのだけど、インドの田舎ではそうも行かない。うっかり喧嘩もできないし悪いことなど絶対にできない。

歓待は嬉しいけど、正直なところ自由がないのでちょっと窮屈。牛のように昼間は放牧してくれないかしら、などと着いた翌日くらいには早くも思っていたりする。

最初のころは、なぜそこまでして大歓迎してくれるのか、いまいちよく分からなかった。なにか技能があるわけでもなし、とりたててセレブなわけでも、観賞用に目に嬉しいビジュアルでもない。客人の訪問によって仕事は増えるし日常がかき乱されるわけだから、日本の感覚なら「うわーめんどくせー」と思うはずなのに。

随分前に、今では一番親しい友人の家に1週間経ち2週間、我ながら厚かましいと思うけれどさらに2か月居候して分かったのは。

毎日同じルーティーンで代わり映えのしない田舎の暮らしで、私の存在そのものがエンターテイメントだということ。

気づいたら遠縁の親戚のひとりやふたりが入れ替わり立ち替わり居候しているし、大家族だから人手はいつもあってワンオペ育児だの家事だのには無縁だし、つまり私ひとりが増えたところでなんの不都合もない。

そりゃ明日食べるものにも事欠くような貧困世帯だったら困るだろうけど、質素ではあれど特に生活に困窮しているわけでもないならば、遠い異国の珍しい生き物はテレビや映画と同じ、いやむしろそれ以上になまなましく外の世界を持ち込むエンタメなわけです。

親族のみならず近所の人もなんだかんだと毎日訪ねてきては、ぐだぐだと日がな世間話をしていく。

別れのときがくると、とにもかくにも全員総出でお見送り。お土産も重量制限ガン無視でたくさん持たせてくれる。毎日遊んでいた子どもたちは別れが寂しくて泣く。

地域や期間はさまざまだが、何度かそんな滞在をした。列車に乗り込んでから、あるいは飛行機に乗り込んでから、こらえ切れなくて何度さめざめと泣いたことだろう。

最初に2か月居候した家の、当時まだ10代だった次男は、その後デリーで観光学を修め、一流ホテルマンとなり、いまは外国で働いている。稼ぎもそうとうよいらしい。長男いわく。

「あのとききみが外国の話をいろいろ聞かせてくれたのがきっかけだよ」

まさかあんなヒッピー崩れみたいなしょうもない自分が、誰かの何かのきっかけになっていたなんて夢にも思わなかった。毎日一番朝寝坊でタダ飯食らっていただけなのにね。

3月のバナーラスの写真教室ツアーで農村や小さな町を訪れたときは、先生である三井さんが事前にサクッと様子を見にバイクで走ったりはしたそうだが、ツアーで来るという情報は一切伝えていない。

だから突然、カメラを持った日本人の団体がやってきたら、村中、町中騒然となる。

そういう何の準備もしていないところにぐいぐい入っていき、同じインド人でも都会の人間には決して見せない飾らない素顔を切り取ることができるのは、外国人だからこその特権だ。強烈な階級社会のインド人同士だと、少なくとも受け入れ側は完全によそ行きの鉄壁で固めた対応をするから。

三井さんやお客様に遅れること5分10分、だいたい皆さんが通りすぎたあたりを私はあとからのんびり歩いた。そのころには外国人来訪のニュースは津々浦々行き渡っているから、写真としての面白みはやはり、先発の斬り込み隊が一番だと思う。

私はおもちゃみたいなカメラしか持っていないし、過剰にヒートアップして何かの危険の兆候がないかをチェックするのが仕事なので、いつもいつもカメラを構えているわけではなかった。

それでも、一緒にセルフィーを撮りたいとか、一枚写してよ、と言ってくる人は絶えない。

今日の一枚に載せた女性は、スマホ片手に駆け寄ってきて、ライブチャット中の相手に「ほら見て! 見て! ほんとに外国人が来たのよ!」と言い、私にも何か言え、とスマホをかざしてきた。なにを話していいか分からないので”Hi”しか言えなかったけど。笑

彼女のサリーは、農村で家事や畑仕事をするにしては綺麗で、ギャザーもピシッとして、たったいま着つけたんだなと分かる着こなしで、この5分か10分の間に、ものすごい勢いで着替えたに違いなかった。

別の町で、後ろからタッタッタッと追いかけてきて「一枚撮って」と言ってきた少女。中学生くらいかな。


きつい直射日光に土埃がもうもうと舞う土地である。午後にもなれば、朝きれいに結った髪も乱れるしメイクだってはげる。実際、私の姿はかなりよれよれだった。

対する少女は「たったいま引きました」という美しいアイラインを施していて、ヘアスタイルも服もばっちりで、輝くような笑顔を私に向けてくれた。もう一瞬で惚れた。

スマホの女性もこの少女も、写したところで、写真がほしいと言われるわけでもない。もちろんプリントを進呈したら喜ぶとは思うけども。

このふたりのシーンは先日のYoutube動画にも入れたのだけど、おこがましい気がして彼女たちについてのナレーションは入れなかった。

外の世界への興味や憧れや、そんなものを夢見ることがなかなか難しい現実があり、そんなとき降って湧いたかのように外国人がやってきた。

そのカメラに、綺麗な姿で収まりたい。

ただそれだけの理由で、大急ぎで支度して私を追ってきてくれた彼女たちに、胸がきゅんとした。動画で私がちょっと困ったような顔をしているのは、内心きゅんきゅんしすぎてそのまま倒れそうだったからです。笑

こんなしょうもうない人だけど、非日常のエンターテイメントになれたなら光栄だし、福の神かは分からないけど、もしなにか先へつながるきっかけになれたとしたら、こんなに嬉しいことはない。