ロンドン、ああロンドン

2年半暮らしたロンドンは、悲喜こもごもで複雑な思いがいまも残ります。帰国したのが2006年10月なので、もう10年経ってしまいました。

昨夜、ウエストミンスター近くでテロがあったと報道がありました。もうあまり友人もいないのだけれど、在住の友人は無事と分かってよかった。いつまでこういう世界が続くのか。

2005年7月にはロンドンでも同時多発テロがありました。当時の雑文。

即、寝ぼけた頭にも「なんかあったぞ、これは」というヤな感じがよぎり、テレビをつけると、トニー・ブレアが「われわれはこのような野蛮な行為に」云々、言っている。5分ほど見ているうちに、市内何箇所かで爆発テロがあったことを知る。

隣のポーランド人(推定)のおばちゃんが帰宅した気配があったので、ガバっとドアを開けて「どうなってるの?」と聞くと、彼女はしごく落ち着いた模様で、

「あらあたし、仕事に行こうと思ったら地下鉄止まっちゃって、トンネルの中を1時間も歩いてやっと帰ってきたのよ。どうせ遅刻だからついでに買い物してきたわ」

などと言って、セインズベリー(スーパーです)のビニール袋を両手一杯に下げている。緊張感ゼロ。

わたしが知る限りの一般のイギリス人たちはごくごく冷静で、普段通りの生活を続けているし、あまり興奮した様子もない。アメリカのときのように、愛国心やテロリストへの怒りをむき出しにしたりしてる人はあんまりいない。すーーーーーっごい冷静である。まるで他人事のようである。

たしかにイギリス人はもっと怒るべきなのかもしれない。一丸となって立ち上がるべきなのかもしれない。でもやっぱりわたしは、アメリカ(っていうかブッシュ)のように安易に「テロリスト=イスラム=敵」としようとしないイギリス人の性質を評価したい。




あれからずいぶん世界が変わって、あのとき私が「冷静」と思ったイギリスは、いまやEU離脱しようとしています。これも「冷静」のなせる技なのか、それとも「冷静」などといっていられなくなった結果なのか。

当時、イギリス人の気質を表すとして、”stiff upper lip”という言葉がたびたび出てきました。「困難な状況で、きっと唇を噛みしめて毅然と耐える」といった意味です。毅然としつつ、隙あらば皮肉な笑いに転化する、それがイギリスのユーモア。

イギリスのコメディがすきでテレビをよく見ていましたが、この、苦難や逆境を笑いにするセンス、イギリス人はほんとうに天才的だと思います。私が住んでいたころのイギリスにはそういう「余裕」が確かにあったと思うのだけど、そうもいっていられないご時世になってきたということでしょうか。

今日の写真は、バイト先の眼科があったBaker Street近くのRegent’s Park。なかよしなカップルを観察しては、この人たちいつまでもつのかな、なんてひねくれたことを考えていました(笑)。

花を、緑を、愛でて慈しむ世の中であってほしいです。