12億人から1ルピーもらったら12億ルピー

インドの人口は2015年の調査で12.5億人なんだそうです。すごい。日本の10倍。

有象無象の貧しい人が束になっても、ほんのひと握りのスーパー権力者に逆らえないのが世の常だけれど、さすがにこの数は無視できない圧倒的な強さではないでしょうか。

日本企業のインド進出も加速中。中間層といわれる、可処分所得が年間5,000ドル以上の人口は2010年に20%に満たなかったのが、2015年には25.5%にまで成長しています。(在インド日本国大使館調べ)

昔は「買い物」はつまり必需品を買うことにほかならず、八百屋にいっても食品店にいっても必ず「なにがほしいんだ?」と聞かれました。品物をじろじろと物色しているなんて下手したら不審者扱いでした。

ほしいものは特にないけれどなにを売っているのかぶらぶら眺めたいというような「娯楽としてのショッピング」ができるようになったのは、おそらくほんの10年前くらいのことだと思います。

いまや都会には巨大なショッピングモールがあちこちに。週末ともなればぶらぶらウィンドウショッピングをしている人で溢れかえります。

全員が全員、すぐに買い物をするわけではないいしろ、その潜在的な購買意欲は魅力ですよね。単価は安くても数で勝負できますから。

てなことは日経新聞と東洋経済とか、頭のいいおじさんが経済を語る媒体でもさかんにいわれています。

インド都市部でヤクルトレディを導入して女性が外で働くことに対するコミュニティの意識改革をしちゃったヤクルトとか、デリー郊外で日本流のおもてなしをサービスにいれたビジネスホテルを展開している会社とか。日本企業の成功例もたびたびメディアで紹介されています。

なんせ日本は国家としては沈みゆく船ですから、持ち直すには外に活路を求めるしかありません。日本にはいいところがたくさんあるし私自身、世間並みの愛着もあるけれど、だからといってニッポンすごい、ニッポンえらいと呑気にジャパンクオリティ礼賛だけしていたら確実に沈んで溺れます。

私がインドに惹かれる理由は、自分が老人になったとき、この老人だらけの国でヨイヨイと老いさらばえていくのではなく、夢があり未来がある若人に囲まれて、自分の持てるかぎりの知恵や経験を受け渡していく手応えを感じながら老いていきたいという、己の行く末を思ってのことだったりします。

昔、ある日本人の友人がいっていた「10億人いたら、ひとり1ルピーずつしかとれなくても10億ルピー」という言葉の魅力は計り知れません。その友人はいまやびっくりするような人生展開で、まだなお果敢に挑みながらインドに住んでいます。

昨日うっかり出来心で会員になってしまった女優マードゥリー・ディークシト率いるオンライン・ダンス・アカデミー”Dance with Madhuri”は、1か月の課金はたったの99ルピー、約180円。

いわずとしれたダンスの女神マードゥリーをはじめとして国レベルで一流の講師陣が動画でレクチャーしたり、コンテストに参加できたりと、オンラインでここまでできればすごいとしかいいようのない充実した内容です。

99ルピーは、富裕層にはホテルでポーターに荷物を運ばせるチップ程度の価値、中間層の上のほうの人にはコーヒー代かランチ代くらいの価値、中間層の下のほうの人や、おそらくは貧乏人の上のほうの層にも、仕事があればなんとか払えるだろうという現実的な額です。

PCだけではなくスマートフォンもいれると、この額を払うことができ、インターネットにアクセス可能な人口はいったい何億いることか。

生活の必需品ではなくて、インターネットのダンス動画にお金を払ってもいいという余裕が生まれ、それがヒットしていくという、これを変革と呼ばずしてなにを変革と呼ぼうかってなもんです。

人口10億で語っていた時代から時が流れ、いつのまにか12億にまで増えていることですし。

私もやりたい、インドでインド人に喜んでもらえて、それが日本のためにもなり、かつ、自分の老後のためにもなるようなビジネス。もう、圧倒的に、わくわくする!

写真は2016年末のもの。貧乏人の出稼ぎの象徴みたいな存在のサイクルリキシャワーラー(自転車で引く乗り物の労働者)のおじさんが、携帯電話で話しながら通りかかって、スゲエ! とこちらのテンションが勝手に上がりました。