突撃! 隣のビジネスウーマン

いてもたってもいられない

もう1年以上前のことになります。2015年秋の連休、まだモーレツ多忙なサラリーマンだった私は、1週間の休暇をひねり出し、子どもの世話をあちこちに頼み込み、単身、ムンバイにいました。

インド映画をもっと普通に日本で観たいのに、過去何回か、インド映画が立て続けに何本か紹介されては、ブームにはならないまま、下火になっていく。いちファンとして、いったい何度煮え湯を飲まされる気分になったことでしょう!

インド映画の大躍進

そのうちインド映画そのものがとんとご無沙汰な状態になってしまいました。

歌って踊ってロマンスに友情に復讐劇に、最後は家族愛で笑って大円団というのが昔ながらのザ・インド映画。

それが、いつからかグローバルな観客層に照準を合わせはじめ、脚本や撮影技術も進化し洗練され、いまや日本以外のアジア圏や欧米でも「普通におもしろいじゃん」という映画の1ジャンルとして確立しはじめています。

それは喜ばしいことではあるのですが、制作費の桁が変わってきたぶん、上映権の料金もダダ上がり。「インド映画なんてB級なんだから、数十万もあれば買えるんじゃないの」とアジアを見下す古い世代の日本人的な目線でいては、おそろしいしっぺ返しを喰らいます。

それでも流行らないインド映画

「ハリウッド映画並みの値段」なんていうのも失礼なくらい、ボリウッド映画の値段はこの10年で上がりました。

そのわりにはお客様が入らないというのが、日本でインド映画がうまくいかない理由なのだと思います。インド映画にたいする先入観、インドという国に対するマイナスのイメージ、ま、いろいろあるでしょうが、端的にいいまして「知らないから」というのが一番大きな理由だと思います。

それならば、ありとあらゆるタイプのインド映画をじゃんじゃん紹介すればいい、誰もやらないなら自分がやるしかない。

そんなふうに思い詰めて(笑)、インドの映画製作及び配給各社にアポをとり、ムンバイに降り立ったわけです。

打率5割の直球アポとり

そんなに簡単にとれないだろうと思っていたアポは、拍子抜けするほど簡単にとれました。

Webサイトの「お問い合わせはこちら」から、「日本でインド映画を紹介したいから会ってほしい」とメッセージを送ったら、依頼したうち半数は返信があり、日時もあっさり決まったのでした。

コネがないと偉い人に会うのは難しいと思っていたインドで、ど直球の「お問い合わせフォーム」から出したメッセージなのに。

なかにはまったく音沙汰のない会社もありましたが、打てば当たる率でいったら半数はかなりいい打率だと驚いたものです。

商売の神様のすてきな歓迎

この山車は地味なほう。スピーカー搭載でとてもにぎやか(うるさい)です

そんなこんなでムンバイに降り立った日。

その日はムンバイが1年でもっともカオスになる、ガネーシャ祭りの真っ最中でした。ガネーシャは、頭が象で身体が人間、そして太鼓腹、という見た目のインパクト抜群な神様で、商業や学業を司るため、古くから商業都市であるムンバイでは信奉者が多いのです。

インドのお祭りは数日間続くものが多いのですが、私が到着した日はまさに一番の盛り上がりを見せる、まさに本番中の本番の日。

各地、各家庭に祀っている商売の神様ガネーシャの像を海に流し、新しい像を迎え入れる準備をするという日だったのです。

こんなにインドに来ているのに、そんな祭りのことは全然知らずに空港からタクシーに乗ったら、普段は優雅に走れる海岸沿いの道が人・人・人。

雨に打たれて2キロの行進

ガネーシャ像を台車に乗せて押す集団、トラックにスピーカーや装飾を搭載して運ぶ集団、とにかく道がガネーシャ像を海に運ぶ人で溢れています。

タクシーはまったく前に進まなくなり、普段なら渋滞でも1時間程度でいける道のりの、ようやく半分くらい進むのに2時間が過ぎました。

運転手の機嫌が悪くなり、「なんでこんな日にタクシーに乗るんだ!」と悪態をつかれました(面白い悪態ですよね、営業しているのは自分じゃん!)。カチンときて車内で大げんかになり、最後は海岸に入る手前で交通規制にあって車を降りざるを得なくなりました。

そこから先は警察が道を封鎖していて、車は一台も入れません。スーツケース抱えて、そぼ降る雨のなか、ホテルまではあと2キロ。

よりによって私はあまり馴染みのない海岸沿いのホテルを予約していたのでした。

ええ。ガネーシャ像を運ぶ人たちと一緒に、スーツケースをガラガラ引いて、びしょ濡れになってホテルまで行きましたよ。

いやね、ボリウッドスターは海沿いの高級ホテルで遊んでいるとゴシップ誌によく写真が載っていたので、どうせなら誰か有名人にでも会えないかと思って、高級ホテルの近くの中級ホテルをとったんですよ(笑)。

別世界だったインドの配給会社

さて、そんな怒涛の初日の次の日から、まだところどころ交通規制があるムンバイの街で、配給会社や製作会社に会いにいきました。映画業界の人々はみなキビキビとデキる感じで働いており、私が知っているインドはなんだったのかと思うような、洗練された世界でした。

本日の写真は、そのときに訪れた最大手の配給会社のエレベーターホールです。私がもっともすきなボリウッド作品のひとつのがエレベーターの扉を飾っていて、超大コーフンしました。写真はダメっていわれる前にパシャっとね(先手必勝)。

結局、どこの会社でも、映画の権利は超ボッタクられ、まったく手が出ない値段を提示されまして。しまいにゃ、「ビジネスしたいならお金持って出直しといで」的なことを高度に洗練された表現でいわれまして、すごすごと帰国の途に着いたのでありました。

アポがとれたのは、日本人ならお金を持っているだろうから、会うだけ会っても損にはなるまいという先方の読みだったわけですよね。キーッ、くやしい!

それでも私は突撃したい

旅費は自腹だし、なんの成果もないし、散々な旅には違いなかったのです。

でもね。それでも、会わないといけない気が、私はしています。

いまやオンラインで試写が可能な映画関係者のためのグローバル規模のSNSだってある時代。日本を一歩も出ずに世界中の映画を買いつけることは、まったくもって可能なんですよ。世界がどんどん狭くなっているのは事実だと思います。

日本でこれまで公開されたインド映画のうち、いったい何本が、実際に人の行き来があって買い付けられたか、わかりません。女優や監督の来日はありますから、きっとたくさんのしかるべき人々が関わっている作品には、そういうしっかりしたやりとりがあるのだと思います。

私には大きな会社の肩書きも、大きな資金もありません。アポだって飛行機やホテルだって自分でとらないといけません。映画のお仕事をするには、まあなんと貧弱なことかと自分でも思います。

それでも!

行ってよかったし、会ってよかった! インド最大手の配給会社のなかを見られたし、1時間から長いところは2時間、じっくりと自分のプレゼンをすることができたから。

彼らもサラリーマンなので会社の決定がなければ動けない人たちですが、なかには個人的に私に興味を持ってくれて、すっかり話し込んでしまった担当者の方もいました。

こういう出会いは、きっと将来、なにかしらの実を結ぶと思うのです。

メールでしかやりとりしていない人より、ガネーシャ祭りの真っ最中にムンバイに着いちゃった間抜けな日本人のほうがインパクトあるでしょ(笑)。

インドにいると、飛行機でも列車でも街中でも、隣り合わせた人に、「アナタいったいなにしてる人?」とよく聞かれます。なにしてる人なんでしょうね、ほんと(笑)