自主性と放置

朝から激怒。

娘の宿題の音読がこの1か月ずっと同じ詩で、あれと思い、聞いたら、実際は2週間前に違う課題になっていた。

まだ覚えていないから、うまく読めないから、すでに慣れ親しんだ以前の課題をずっと読んでいた、という。

2週間気づかなかった親が悪い。

忙しいからときちんと課題を確認しなかった親が悪い。

自主性に任せるというのと、放置するのはまったく違う。

衣食住を与えていればこと足りるわけでもない。

なのだけど。

親をごまかすなー!!!

怒りにまかせて怒鳴り、朝から大泣きさせてしまった。

悪いのは100%、親です。ごめんなさい。反省。手を繋いで学校まで送った。

帰宅後はきちんと時間をとってお互いの一日の総括をしようと思います。

追われる働き方から自分で決められる働き方に変えたのに、やっぱりまだ、追われている。

赤点のまま、親業、続く。でも、私を親にしてくれてありがとう。


今日の写真も、かつて長期滞在していた北インド、バナーラス。ヒンドゥー教最大の聖地、ガンジス河の洗濯屋界隈。

洗濯屋は「汚れ」「穢れ」を扱う職業ということでカーストは低くけっして尊敬される職業ではない。

けれどここの洗濯屋、いつも整然と並べ干すその感覚に美学があって、毎日、惚れ惚れと眺めていた。

来る日も来る日も大量の洗濯物。ガンジス河の水で洗われた衣服。

なつかしい。