行ってきました『知る・聴く・食べるインド 』

若手随一のタブラ奏者である飯田きゅうりさん主催の

『知る・聴く・食べるインド 〜歌詞から探る名作〈ヒンディー映画〉とウルドゥー語〜』

というイベントに行ってきました。

今日は完全に自分の備忘録で長いので先に重要事項をば。


飯田きゅうり氏の公式サイトはこちら

北インドの打楽器であり、シタールとならんでヒンドゥースターニー音楽の要でもあるタブラ。日本にもたくさんのタブラ奏者がいますね。20年前にインド某所の汚い路地裏でしょっちゅうすれ違っていた人が超有名になっていたりと、時の流れと、対する己の進歩のなさを痛感します。

そんなたくさんいる日本人タブラ奏者のなかで、古典音楽にたいして詳しくない私が「この人すごい」といま大注目しているのがきゅうりさん。

昨年、彼の師匠アルナングシュ・チョウドリィ師の招聘公演を拝見して、その、師匠と弟子の共演であり真剣勝負というステージで、わけも分からず興奮してしまい。

もちろんすごい人は昔からいたのだけど。わりとマニアック限定というか、一般人ちょっと入りにくいです的な部分があったように思います。

SNSのおかげで今はもっとオープンに、ひとりの奏者の奮闘ぶりを目の当たりにすることができます。きゅうりさんがインドで修行中のFacebookの投稿は毎回熱く、おこがましいのを百も承知で書きますと「この人の奏者としての成長をずっと追いたい」と思わせる熱風を孕んでいてですね。

音楽家は音楽で勝負ではあれど、彼の熱風は音にも出るんだな。そういうリアルタイムの発信もできるというのがまさに今の時代的な存在といえましょう。

古典舞踊方面にもそういう踊り手さんが何人かいて、追う立場としては大変忙しく、そして幸せなことです。あれだ、親戚のおばちゃん的なやつ。羽生選手を固唾を飲んで見守るおねえさんたちの気持ちがとてもよく分かる。

きっとどこの国もそうなように、インドの古典の世界も、定められたカリキュラムを学校で何年やって卒業、というわけではない口承伝達で成り立っている。師匠や兄弟弟子との関係はときに密すぎたり重すぎたりすることもあると私なら思うのだけど、そこに熱意しか感じないのがきゅうりさんがすごいところ。

すでにソロ奏者としても大活躍のきゅうりさんですが、終わりがないのが古典。これからもっともっと羽ばたいていくと思うので、未見の方はぜひいまのうちから(すでに大人気ですが……)追っかけておくとよいと思います!

6月には再びチョウドリィ師の招聘公演があるとのこと。再び、ヒリヒリハラハラするエキサイティングなステージが繰り広げられるはず。語彙がないな自分!


さて今回のイベントは、往年の名作の名曲の歌詞を元東京外国語大学准教授の麻田豊先生が解説してくださるという垂涎ものの趣向でした。

この先馬鹿みたいに長いので先に大事なことを(今日はそればっかり)。

麻田先生の格調高い美しい字幕の映画『熱風(Garm Hava/1973)』を来月、観られます。

イスラーム映画祭3 公式サイトはこちら

東京(ユーロスペース)2018年3月17日(土)〜2018年3月23日(金)
名古屋(シネテーク)2018年(4月)
神戸(元町映画館)2018年(5月)

本日現在、2018年のタイムテーブルは出ていませんが東京での『熱風』上映は3月22日(木)だそう。

追記: ツイッターのほうにスケジュールが出ているとお知らせいただいたので表示しておきます。

 

今回、麻田先生が歌詞をご紹介くださったのは4曲。

Chaudhvin Ka Chand Ho 十四夜の満月

巨匠グル・ダットと女優ワヒーダー・ラフマーン(レーマン)のことを知ったのは、学生のころ愛読していた雑誌「旅行人」の1998年インド映画特集でのこと。この年はマレーシアに留学したのにインド人街にばかり出入りしてインド映画にダダはまりした年でもあって、留学前に読んだ「旅行人」はその前哨戦みたいなものだった。

グル・ダットの代表作『紙の花』(1959)のことが、アジア映画巡礼の大先生、次郎丸章さん、グレゴリ青山さんという、ものすごく贅沢なメンバーの鼎談のなかで出てきて、舐めるように読んだ。『紙の花』はその後観る機会があって、「辛気臭い」という身もふたもない感想を持ったけれど、それは私が若かったからかもしれない。また観たいな。

本日のお題の作品は『紙の花』の翌年の作品。

『Chaudhvin Ka Chand(1960)』

あった! Youtubeさすが! これはゆっくり観ます。ラクナウを舞台にした友人同士の男性ふたりが同じ女性に恋をするSuper Classic、超古典的な映画らしい映画。

今回の課題曲は夫が初夜の花嫁の美しさを讃える歌、とのこと。Chaudhvinは14番目、タイトルは十五夜ならぬ「十四夜の月」。白黒フィルムのこの曲の部分だけカラー。

Chaudhvin Ka Chand Ho

いただいたレジュメの麻田先生の日本語訳が美しい……。辛気臭いと思っていたグル・ダットだけど、いろいろありすぎた青春時代(!)もはるか昔となり、立派な中年になったいま観たらすごく沁みる気がするな。

Pyar Kiya To Darna Kya 恋をしたら怖いものなし

こちらも1960年の作品『Mughal-e-Azam』から。

最新作『Padmaavat』で大号泣したのも記憶に新しいサンジャイ・リーラー・バンサーリー監督の『Bajirao Mastani(2015)』の元ネタがたくさんあるということで、3年前に好奇心にまかせて観た。長いけれど好きな作品。

ちなみにもともとは白黒フィルム作品なのを、2004年にデジタルリマスターで着色したというからすごい。

その中の一曲、本日の課題曲 Pyar Kiya To Darna Kya、このあと捕らわれの身となっていくヒロインが踊るという設定、鏡の間的な空間でハラハラする状況の元、命を賭けて自らの想いのたけを表現するという設定など『Bajirao Mastani』の一曲『Deewani Mastani』で踏襲されており、「なるほどー」となるわけですね。

『Mughal-e-Azam』のほかの踊りのシーンもすべて素敵(で、本歌取りともいえる『Bajirao Mastani』で「ほほー」となる)。お話知っているともっと素敵。

元祖 Pyar Kiya To Darna Kya がこちら。

現代版ともいえるのはこちら。
Deewani Mastani

元祖のほうでは踊り子のヒロインの名前がアナールカリーというのだけど、アナールカリーは私がよく着ているスカートが広がるワンピースタイプのインド服の名称でもある。クルタという、両脇にスリットが入っている日常的かつ活動的なシャツよりもよそ行き風で、最近は外出時はほとんどアナールカリばかり着ている。

と、服の種類がこの映画のヒロインの名前というのは知っていたのだけど、その意味を今回初めて麻田先生の解説で知った。

アナールカリーは「ざくろの花のつぼみ」という意味なんだそう。確かにシルエットが花のつぼみを逆さにした感じ。いいこと聞いちゃった。

追記:その後よく考えてみたら街角フレッシュジュース屋でざくろジュースを頼むときは「アナール」と頼んでいたし、子ども用のデーヴァナーガリー文字一覧を思い出してみれば、一番最初の「a」という母音のイラストが「ざくろ」でした。独学ってなかなか点と点がつながらないけれど、つながって線になったときは嬉しいなっと。

Chalte Chalte 歩いている途中で

『Pakeezah(1972)』からの一曲。

この『Chalte Chalte』(「歩く」の繰り返し)は現代に至るまでいろいろな歌や映画のタイトルになっていて、じつはこの曲がすべての元ネタなのかしらと思った。

映画自体は未見なのだけど、南インドの古典舞踊にハマる前は宮廷舞踊カタックがベースになった昔の映画の踊りが大好物だった私はここだけを何度も観ている。

麻田先生によると、パーキスターンの国名にも入る”Pak”(パーク)はウルドゥー語で「清浄なるもの」という意味なんだそう。

インド・イスラーム文化を描いた映画には高級遊女がよく出てくる。

そういうカルチャーは日本にもあったと思うのだけど、芸術を庇護し愛する高貴な人をエンターテインするためには容姿の美しさだけでなく歌も踊りもできなくてはいけないし、気の利いた詩のひとつもやりとりできなければならないから、単なる肉体の快楽のためだけの存在ではない、というのがインド・イスラーム文化に出てくる高級遊女の描かれ方だ。

そうであっても身分は低く、しょせんは娼婦、というのも日本と同じ。

そのヒロインが最後に新しい名前を与えられるそうで、それが作品のタイトルでもある”Pakeezah”(心美しき人)。

列車で足の指の間に挟まれた、「貴女の御足は美しい」と讃える手紙から始まるなど、なんのフェティシズムだと思うような、たいへん情緒的な作品らしく、こちらもぜひ観たい。

Dil Cheez Kya Hai

最後は『Umrao Jaan(1981)』から。

リアルタイムではないものの、やっとこのあたりの年代から私も見知っている映画が多くなってくる。

でも『Umrao Jaan』は2006年のアイシュワリヤ・ラーイ主演版が先で、そのあと、こちらのレーカー主演の1981年版を観た。2本ともDVDは我が家の永久保存版。

こちらも高級遊女のお話で、オリジナルのレーカーも現代版のアイシュワリヤも、どちらも踊りがほんとうに素敵だ。どちらが好きかと言われると真剣に困るくらいどちらも好き。

現代インドも「古典舞踊を習っていました」という女優はそれなりにいるのだけど、日本で「バレエを習っていました」という人口がやたら多いのと同じで、小金を持ったミドルクラスは教養のひとつとか箔付けのために子女に古典舞踊を習わせるので、「あーはいはいお上手ですね」とつい言いたくなってしまうレベルも多い(ごめんなさい)。

レーカーもアイシュワリヤもそういう「一応教養としてやってました」という女優とはまったくもって一線を画す。長年にわたる訓練をみっちり受けた踊り手で、付け焼き刃では絶対に出せない表現の細やかさにうっとりする。

アイシュワリヤの踊りはデビュー当時「踊りというより新体操みたい」なんて書かれているのを目にしたりもしたけれど、女神マードゥリー・ディクシトと共演した『Devdas(2002)』といい、『Umrao Jaan』のあたりはもう誰にも文句はないでしょう。しっかり基礎のある踊り手に一歩先の色気が出て、このころほんとに最強。私にとってはリアルタイムで観てきた「女優=踊れる」の基準はいまだにこの人で、後続する女優がいないのが寂しいところでもある。

そうそう、レーカーはちょっと前の人でリアルタイムでは知らないのだけど、さきの旅行人のインド映画特集では確か、大先生が「南インド出身のレーカーはデビュー当時ものすごく太めだったのをダイエットをがんばって北インド映画で活躍した」といっていらした。レーカー姉さん、赤いちゃんちゃんこを着る年齢だけど、いまなおものすごくセクシーで美しくスターオーラびしばし。

やっぱりどちらもすごく好き以外に言葉が出てこない。あれ、お話どんなだったっけ。

同じ曲ではないがアイシュワリヤ版のUmrao Jaanより

最後、おまけ的にきゅうりさんが紹介していたのがこの曲。サタジット・レイ監督の『Jalsaghar(1958)』より。

2008年にエルメスがインドをフィーチャーしたことがありまして。インド的なデザインをふんだんに取り入れた、ため息が出るようなバングルやスカーフが出ました。お値段も素敵で、もちろん買えませんでした。

が、さすがエルメス、やることがすごい。文化背景となったインドの名作映画を銀座のメゾンエルメスで上映していたんですね。しかも無料で。場違いすぎて心臓バクバクしながらあの素敵な場所に足を踏み入れたのを思い出します。

このとき麻田先生の『Mughal-e-Azam』も上映されたのだそうですが、いま悔やんでもしかたないけど私が観たのはこちらの『Jalsaghar』のほう。俗物の私には貴族の斜陽はいまいち響かず、サタジット・レイの深淵もいまいちわからない。でもRoshan Kumariが踊るこのシーンだけは音楽も踊り手も、何度観ても震える。

眼福、そして「ああ、そうだったのか!」という発見に満ちた夜になりました。そしてこういうときは毎回、帰り道を間違えます。やはり今回も反対方向の電車に乗り、あやうく帰れなくなるところでした。


追記。このイベントでは下北沢「アンジャリ」さんのカレーが提供されました。ケーララのコクムを使った酸味のあるフィッシュカレーと、カリフラワーのココナツベースのシチュー。美味美味。

自分の筆名と同じ名前のお店なので以前から気になっていまして。今度ちゃんと行こうっと。

追記:ご覧のサイトはやちもないことをだらだら書き連ねる個人ブログですが、もうちょっとちゃんと役に立ちそうな(まったく立たないかもしれない)サイトも運営しています。リンク貼ってしまえー!

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