シュリーデーヴィー逝く

週末は衝撃的なニュースで始まりました。

朝起きたら私のSNSのタイムラインは「シュリーデーヴィーが亡くなった」というニュースのシェアで埋め尽くされていまして。

ええ? 嘘でしょう?

聞いた全員の第一声がそれだと思います。だってまだ若すぎるし、去年も主演作品が公開されているし。

私がインド映画にハマり始めた90年代後半はもう彼女の時代はほとんど終わっていて、過去の作品を通じてしか触れてこなかった女優さんではありました。ちゃんと観たのは日本語字幕DVDが出た『Judaai(別れ)』(1997)と京橋で上映された『Moondram Pirai(三日月)』(1982)くらい。

とはいえ、ダンス好きとしては過去作品のダンスシーンはほぼほぼコンプリート。本編は未見なので、私にとってのシュリーデーヴィーは完全に「踊る女神」でした。

第一線を退いて『マダム・イン・ニューヨーク(English Vinglish)2012』で復帰し、日本公開され来日したときも、実はそれほど心動かされず(家族で来日、メイクさん始め世話係が数人はいるとして、総額いくらかかったのだろうと下世話なことを考えました)。

なにしろ彼女は美しすぎて現実感がなかった。少女漫画のヒロインそのままじゃないですか。

英語コンプレックスに悩む普通の主婦という設定は、普通の主婦にはありえない手の込んだ美しさや、彼女が過去に女神ばりに輝いていた数々のダンスシーンが邪魔してどうしても乗り切れませんでした。いい映画だとは思うけどそれほど好きではないという、何事ものめりこむ私にしては珍しい感想。

昔読んだ雑誌に「南インド出身でボリウッド進出にあたって北インド受けする風貌に整形した」というくだりを読んだことがありました(真意のほどはわかりません。おでこのライン、鼻、輪郭など確かに変わったと思うけど、女性は変わりますからね。整形はあくまでも噂)。

いまやハリウッドと同じくらい整形が一般的になってしまい、どこもお直ししていない俳優なんていないんじゃないの? と思えるようなボリウッドですが、彼女の時代はまだまだ珍しかったというか「そこまでするか!」という恐ろしい覚悟を感じるエピソードです。

南インド時代の彼女は典型的な南の美人で、どこもいじらずとも超がつく美形で、まん丸な小さなお顔のくるくる変わる表情がキュートで、私はそのころの彼女のほうが好き。

先日導入したばかりのAmazon Fire TV Stickでインドのテレビをつけると、各局、このニュース一色で、いかにこの人が大きな存在であったかを改めて知りました。

インド映画における女優がスター俳優の添え物的な存在だったのが、女優を売りに作品が成り立った初めての女優であるとか、4歳でデビューして子役で活躍していたとか、その影に猛烈ステージママがいたとか。Rajinikanth、Kamal Haasan、Chiranjeeviはじめ、インドの各映画界の名だたる大スターたちと軒並み共演していて。大俳優と共演する女優はほかにもいますけど、その後自身がピンで大看板になったという、そんな女優ほかにあまりいないですね。

54歳だったそうですから、間にブランクはあれど、50年間、スターであり続けたんですね。

人は誰でも必ず老いて、死ぬ。シュリーデーヴィーとても。

会う人会う人に「美しい」と称賛され、銀幕で輝き続けることが、どれほどの重責だったことだろうと、私はそこを考えてしまいます。

彼女の一番の説得力はその美しさで、誰もが最初に惹きつけられるのもその美しさで。歳をとったからといって「劣化」(下品な言葉だ)することは彼女にはきっと許されなかったのだろうなと思うのです。

シュリーデーヴィー自身は整形については断固否定していますし、もちろん真相はわかりません。ただ、メスを入れることはなくてもありとあらゆる方法をとっていたとは思います。いまはいろいろな方法がありますしね。

そんななか、健やかであることよりも完璧に美しくあることを、彼女なら優先させただろうと思います。

おばさん化しても明るく楽しく老いていくほうがいいと私のような凡人は思いますけど、大女優には大女優の強い意志があったはず。

若く美しいまま、シュリーデーヴィーは逝ってしまいました。見事と言ったら不謹慎かもしれないけれど、こんな見事な幕引きがあるでしょうか。

週末、テレビではずっとシュリーデーヴィー追悼で、おかげさまでずいぶん詳しくなりました。いつもすぐ忘れてしまうデーヴァーナーガリー文字の綴りも、彼女の名前の綴りだけは絶対に忘れないくらいたくさん見ました(笑)。

卓越した表現力はダンスだけではなかったんですね。これまでやや敬遠していたこともあって、とても惜しいことをしていたなと思いました。知れば知るほど、もっとこれからの行く末を観たかったと残念でなりません。

駆け抜けた50年のキャリアから逃れて、亡くなったことにして姿を消し、本当はエーゲ海の孤島を買い取って、心許した使用人にかしずかれて優雅な余生を送っているのではないかと、ふとそんな妄想までよぎります。そうだといいな。ほんとうに、おつかれさま。

Rest in Peace.

追記: すっごい関係ないのですけど、幼稚園児並みの文字読み取りレベルを少しでも向上させようと、英語放送ではなくあえてヒンディー語放送を観ているのですが、1文字ずつ一生懸命読んだ文字が「Superstar SrideviのSuperhit 15曲」とか「Tamilnadu State Award」とか、英語のデーヴァナーガリー文字転換だったりして、ものすごく脱力します。日本語のカタカナ書きと一緒ね……。