カシミール地方にすこしだけ足を踏み入れたときのことをツイッターに投稿した。
そして、またいつかちゃんと行ってみたいなとツイートした直後、カシミール地方でのテロのニュース。
一時は改善ムードに向かっていたのに、この数年のカシミールはほんとうに悲しくなるニュースばかり。
一昨年、南インド某所にて、ちょっとした義理でカシミール人の土産物屋に連れて行かれた。
1988年以前はヒッピーたちが地上の楽園と称した風光明媚なカシミール地方は、1989年以降イスラーム過激派の台頭によりテロと暴力の舞台となり、観光業は衰退。
だからなのか、もともとそういう生業なのか私は知らないが、カシミール人は故郷から遠く離れたインド各地で工芸品の土産物屋を展開している。看板に「カシミール人の店」と書いてあるわけではないが、顔でだいたい分かる。
そのとき連れて行かれた土産物屋では、最初はお決まりの観光客相手の商売っ気たっぷりのセールストークから始まった。
カシミール人は眼光が鋭い人が多い印象で、なんというか、苦味走ったいい男風な人もいるが、長年の苦労がそうさせるのか、人相が険しい人も多い。この人もそういう人で、丸っこい顔立ちの人が多い南インドでふいに会うと、鋭さが際立った。
そんなちょっと悪役的な顔立ちの人が、完全に外向けの営業用の笑顔を浮かべているのが複雑な思いがした。
「なにがほしい? カシミヤのショールはどうだ? パシュミナもあるぞ。最高級品だ、特別に安くするから買っていかないか?」
この手のお店は高額なブロンズ像や大理石細工などの工芸品、アンティークの宝飾品、細かな刺繍のショールなどを置いている。本物のカシミールの刺繍は素晴らしい工芸で、私も大枚はたいて手に入れたことがあるけれど、こういう店で商品棚に何年も眠ったままの品はご縁もへったくれもなくて、ほしいとは思わない。
それにいまはショッピングモールでいくらでも最新の手頃な価格の商品が買える時代。自分では価値がわからない高額な品を買おうという気には、やはり、ならない。
適当に切り上げて店を出よう、それで義理は果たすだろうと話をそらした。
「カシミール最近どう? 帰ってる?」
途端に表情が曇った。私と同世代くらいのオジサン。「こいつはインド一見の観光客ではない」ということは分かってもらえたようだった。
「年寄りたちは動けないから地元にいる。自分たちが稼がないと」
「そっか。大変だね。私ちょっとだけカシミールに行ったことあるよ。ちゃんと見てないからいつか行きたいな」
「昔はBeautifulだったんだよ。いつかきみが訪れてくれることを祈る」
「こういうときってインシャー・アッラー(神の御心のままに)っていうんでしょ」
オジサンちょっと笑って「よく知ってるね」と言った。商売する気はあまりなくなったようだった。
その後ちょっとどうでもいいような世間話などして、さあ出ようとドアのほうに向かいながら、見送るオジサンひとこと。
「カシミヤのショール、買っていかない?」
即答。
「いらない。ごめん」
顔を見合わせて、お互い、笑った。
私は外国人で部外者だし、現地事情に詳しいわけでもない。
テロのことやパーキスターンとの関係のことでは、インド国内でもさまざまな意見があって常にケンケンガクガクやっている。
テロがなくなること、そして両国の和平なんて理想は、かなうことはないのかもしれない。人心を利用する誰かがいる限り争いはなくならない。正義の反対は非正義や悪ではなく、別の誰かの正義だ。
でも、夢や希望を語る人がいなくなったら、この世はおしまい。おまえなんかなにも知らないくせにと言われるかもしれないしその通りだけど、そんなことはいい。
いつか行きたい、Beautifulなカシミールに。
本日の一枚は、相変わらず全然関係ない、イギリスのコーンウォール、イングランド最西端のLand’s Endにて。おばあさんが岬に腰かけて海を見ていた。