ガンジス河に登る朝陽は毎朝違って、毎朝きれい。薄暗いなか、チャイを飲みながら朝陽を待つ時間が懐かしい。
とある素敵な写真家の方が講師を務める写真教室と撮影ツアーの同行スタッフとして、2001年から2003年にかけて長期滞在していたヒンドゥー教最大の聖地バナーラスを再訪しました。
最後に行ったのが2007年、婚前旅行でのことで、約11年ぶりの訪問でした。ツアーの添乗業務は2004年のヒマーチャル・プラデーシュ州を巡る旅が最後で、実に14年ぶり。私自身の通算インド渡航は35回目(ずっと曖昧だったのでこれからはちゃんと数えることにしました!)。
私の手持ちのインド携帯のSIMカードは、最近義務付けられた住所登録をしておらず、いつ停止されるかわからない危うい代物。
おまけに州ごとに携帯電話網の管轄が違うため、ウッタル・プラデーシュ州に入ったらほとんど繋がらず、日本に電話する用事があるのにろくに電波を拾えません。
宿のスタッフに「ISDとかSTDの電話屋、近くにある?」と聞いたら、「アンティー(おばさん)、今はみんな携帯だよ、電話屋っていつの時代の話?」と完全に鼻で笑われました。
以前は、ISD(国際電話)やSTD(長距離国内電話)と書かれた黄色い看板を掲げた電話屋が街角ごとにあったのです。それが今は老いも若きもみんな携帯電話を持っています。路上チャイ屋も、サイクルリキシャのおじさんも、とにかくみんな、携帯、携帯。
旅行者の多いベンガリー・トラという小道に一軒だけ「ISD」と小さく書かれた看板を見つけ、そこから国際電話をかけましたが、店主のおじいさんにも「ここでかけるよりSIMカードを買ったほうがいいんじゃない? スマートフォン持ってるんでしょ?」と言われる始末。
バナーラスの風景は10年くらいでは全然変わっていなかったけれど、電話屋とネットカフェがすっかり見当たらなくなったのが唯一、時代の変化を感じる点でした。
早朝、お仕事の合間に河沿いの友人宅を訪ねたら、寝起きの友人「突然来るんじゃ食事の用意もできないでしょ、連絡してよ! せっかく来たのにご飯も食べない、チャイも飲む時間ない、もう!」と怒られつつ10分くらいの短い再会。ここのお宅で私はどれだけタダ飯をご馳走になったことか。結婚して子ども生まれて、元気そうでなにより。
バナーラスは、大好きな人たちが全員つながっている街。悲喜こもごも、いろんな思い出があります。とっくに動き出している時間の長さを感じつつ、やっと来られた、ありがたいなあという気持ちでいっぱい。
最終日、火葬場のあたりで、なぜか肝心の引率係のはずの自分が一行とはぐれてしまいました(おい)。
राम नाम सत्य है (Ram Nam Satya Hai 神の名は真実なり)
石畳に強烈な日差しが照りつけるなか、聞こえてきたのは、死者を乗せた担架を担ぐ男たちの声。このフレーズが聞こえてきたら、それはご遺体を火葬場に運ぶ葬列です。
バナーラスにいたら日常的に目にする光景。生きることと、死んでいくことが、すぐ隣り合わせ。狭い路地で邪魔にならないよう身を引きながら、なんとなく、神様の計らいで一瞬だけ一行と離れて異世界に飛ばされたなという気がしました。
ガラの悪い兄ちゃんたちが闊歩して、胡散臭い聖者が手招きして、かと思えばどこかの一瞬がとてつもなく尊くて、そしてやっぱりドロドロした人間関係も垣間見えるほどに世俗にまみれていて。
インドから帰国するたびに、あちらとこちらのあまりに違う世界をひとっ飛びで行き来できてしまうことに頭がクラクラします。
また来よう、そしてもっと来よう、バナーラス。