そこにあるものがすべて。
インドから帰国するといつも同じ感覚があります。
あそことここが同じ世界とは思えない。
つい24時間前まで汗と埃と、路上でお金を請う幼い子と、現世では諦めるしかないのかなと思うような風景のなかにいたのに。
飛行機でびゅーんとひとっ飛びしたら私はもう、成田空港できれいなトイレやさくさく働く人々の世界にいて。
2001年ごろ、インドのみならず東南アジア、中国、アフリカ、ヨーロッパと世界中をぶらぶら旅していました。
朝、目が覚めると自分がどこにいるか一瞬、わからないなんてことがよくありました。
耳に入る通りの雑音や誰かの話し声が、寝起きのぼんやりした脳みそにある雑多な記憶とごちゃ混ぜになって、ラオスのメコン河沿いの宿にいるのに、ふとタンザニアのザンジバル島に渡るフェリーで横になっていたときのことを思い出したり。
このブログは、もしかしたらご縁があるかもしれない方々に私の人となりを知ってもらいたくて書いています。日々の記録としての側面もあります。
でもこんな些細な記憶や、その場の匂いや雑音は、自分の頭の中以外、どこにどうやっても記録しようがないのです。
FacebookにもTwitterにも投稿しない、できない、そういう部分がきっと8割くらい。そのうち半分くらいは書きたくても公には書けない段階であったり書いてはいけない類のことだったり。
インターネットは便利だしSNSは私の世界をうんと広げてくれたけど、やっぱりこれだけじゃなんにもわからない。
足を使おう、人に会おう。
本日の扉絵は、先日訪れたインド北部の田舎の道ですれ違ったトラクター。どこかへ働きにいくのであろうイスラーム教徒の皆さんを乗せていました。こちらを見る目が硬くて怯む。