『宙を翔ける』堀友紀子さんソロ公演

いっさいの醜いものを洗い流すような、清冽な踊りでした。「いいもの観せていただいた!」と満ち足りた気分で劇場をあとにできて本当に幸せ。

堀友紀子さんの南インド古典舞踊バラタナティアムのソロ公演に行ってまいりました。

舞台に神様をお迎えする祈りの曲プシュパンジャリから、メイン演目である、踊りとアビナヤ(感情表現のマイム)を交互に魅せながら物語を紡ぐヴァルナム、アビナヤのみで神話のエピソードを魅せるパダムなどの曲、そして神様を天にお返しする歓喜の舞ティラーナ。

こんなふうに、バラタナティアムの公演の演目は、演じられる曲の種類と順番がフルコースのお料理のように決まっています。お料理の食材や調理法がラーガ(古典音楽のメロディの型)だったりターラ(リズムのパターン)だったりして、観客は、ふむふむ今日の前菜はこれでメイン料理はこれでデザートはこれか、という感じでプログラムを楽しむわけです。

『宙(そら)を翔ける』という今回の公演タイトルは、孔雀に乗って宇宙を翔ける軍神ムルガンにちなんだものとのことでした。ムルガンは北インドではあまり馴染みがない神様ですが(スカンダという軍神と同一視されている)、バラタナティアムの本拠地である南インドでは人気のある神様で、ヒンドゥー教三大神のひとりであるシヴァ神の息子とされています。

今回のヴァルナムはこの軍神ムルガンが妻となる美しい娘と出会ったときのことや、どのようにシヴァ神から誕生したのか、そして兄である学問と商売の神ガネーシャとのエピソードなどがテーマでした。

ヨボヨボのおじいさん、美しい娘ワーリー、軍神ムルガンと、次々繰り出されるキャラクターの演じ分けの巧みさや隙のない足さばき、腰の安定感がすばらしくて、このままずっと観ていたいなあ、とうっとりしました。下半身の安定感に乗っかった上半身の気持ちのいい伸びやかさとでもいうのかな。ほんと、終わらないでほしかった!

堀さんの踊りは、ヒリヒリするような緊張感とかオレすごいだろ的な力で押す踊りではなくて、軽快に快活に進みながら、じんわりほんわり積み重なっていくディティールを観ているうちに、いつのまにか虜になってしまうような踊り。

両腕がぱぁっと開くときの軌跡とか、斜め45度の狂いのなさとか、ナティアラム(腕の基本型)の曲線がほんとうに美しくて、腕が開かれるたびにきらきらした粒がこぼれるようでした。手の先から絶対なんか出てる!

一方、さまざまな題材でさまざまなラーガ(古典音楽のメロディ)があるヴァルナムと違って、舞台の〆である歓喜の舞のティラーナはそんなにめちゃくちゃたくさんの曲のバラエティがあるわけではありません(たぶん)。

インドのダンスシーズンにバラタナティアムのソロ公演のハシゴをしていると、ティラーナは公演の最後に必ず踊られるので、毎日3人とか4人のティラーナを観ます。そのせいもあって、いまいち響かない踊り手だったりすると、恐れながら「ああ、またこのティラーナか」などとちょっと飽きたりすることもあります(ごめんなさい)。

そんな最後の演目ティラーナが、今回は私が大・大・大・大好きなラーガ・クダナクドゥハラム(Kadanakuthoohalam 綴りよくわからない)というラーガでした。このラーガのティラーナが外れだった踊り手さんが今までいない、特別に好きな曲。

ものすごくドラマティックであるとか、ジャカジャカジャーンと派手な曲ではないのだけど、このラーガには、軽やかに駆け抜けるうちに、静かに控えめに、でも着実に気分を高揚させていくような華があるように思います。

それが堀さんの魅力そのものにも思われ、力の限りの踊りのなかにも抑制の効いた表現にかえって溢れるような思いや踊りへの献身が感じられて、観ているほうもヤバイ感じに感極まりました。グングル(足の鈴)のシャンッ!と突き抜けた音がたまらない。

ティラーナは神様を天に返す踊りであると同時に、踊り手や観客の思いも昇華させる踊りなんじゃないでしょうか。

このところずっと、半端な踊りに対して我ながら持て余していた怒りのような感情がぜーんぶどっかに行った!

堀さんはだいすきな踊り手さんなので、これまでも折に触れ拝見してきたけれど、今回の公演でますますすきになりました。すばらしい踊りを観せていただきましてありがとうございます。

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