大切な友人が「願いごとは手帳に書くといいよ」と教えてくれたのはいつだったか。
もともと記録魔の手帳好きですから、毎年、その年の振り返りをしたあと、翌年の「やりたいこと」をExcelにリスト化して、月ごとの進捗が書き込めるようになどとしていましたが。
それはやりたいことのように思えながらも実は To Do や Must Doで、動いていないと死んじゃう回遊魚ではないにも関わらず、なぜか、いつも自分を追い込むのが好きでした。ドSが自分に向かうとドMになる、みたいな。
そうやって追い込んで得てきたものは大きいし、達成感や満足感をたくさん味わうことができたのはとてもよかったと思います。
子どもを見ていて思うのは、他人に認められるというのは確かに必要ではあるけれど実はオマケで、本人が本当に嬉しいのは自己満足できたときなんですよね。
私自身、ものごとが突然うまく回り出したのは、10数年前、なにもかもなくした状態で、半ばヤケッパチの勢いを借りて自分軸で動くようになってから。他人の評価に無頓着になったら俄然、評価、そして強運が舞い込んできたという、冗談みたいな展開でした。
一番嬉しかったのは、人の幸せを一緒に喜べるようになったこと。他人軸で生きると確かに人も自分も傷つけないけど、人も自分も祝福できないということでもあって、不幸です。
で、気づいたら、欲しいものは全部手に入れていました。
ただ、「目標!」「達成!」の繰り返しはやせ我慢の耐久レースでもあり、24時間脳みそに休みがないから、私はとても疲れていました。
退職前の2年間で奥歯が4回欠けて、「食いしばりすぎです」と歯医者さんにいわれ、「そろそろ止まらないとヤバイ」と思いました。
ドSもドMも癖になる、そしてなにごともやりすぎは、よくない。
その友人がいうところの「願いごと」は、まあ、願いごとなんですよ。流れ星に願うような、無邪気なやつ。
もっと気軽に、こうだったらいいなという程度で、PDCAサイクルとか、小理屈は関係なく。
Excelの「やりたいことリスト」(実は「やらねばリスト」)はだいたい毎年30までに絞られていました。あまり多いと叶えられないと思っていたから。
が、この、あんまり深く考えない他愛のない願いごとはとどまるところを知らず、100でも200でもどんどん出てきます。ノートびっしり。
人間って、私って、欲深いなあと思いながらも。
書いておくといつの間にか叶っていたりするので、思いついたらせっせと書き留めています。
おいしい天ぷらが食べたい。
このへんまだ可愛らしいですけど。
Ranveer Singhに会って息が止まりそうなハグをしてもらう。
ちょっと図々しいのやら、
立ち上げたブランドがバカ売れして毎月インドに行けるようになる。
こりゃまた大きく出ましたね的なのまで。
私の手帳にはいつも「願いごとリスト」があります。そして、願いごとが叶うことの嬉しさや、自由に願うことができる喜びをいつもかみしめています。
それはひとえに、無邪気な願いをしていいのだと気づくきっかけをくれた、その友人のおかげ。
話は変わりまして。
前職では年始に必ずその年の目標を何項目も掲げさせられ、1年後に各項目に対しての達成度に点数をつけられ、その率でボーナスの支給額が決まっていました。
外資系のシビアな査定の会社で生き延びるひとつのテクニックとして、当時の私は「7割方達成できている」とか「ほぼほぼ終わりが見えている」という項目を全体の半分くらいは織り交ぜていました。
それでひとまず達成率のうち50%は担保されるわけです。求められるゴールがあまりにも高いので半分でも決して楽ではないけれど、まったくのゼロからのスタートではないぶん、現実的な戦略だったと思います(これを「ずるい」という人もいてびっくりした)。
私はこの「必ず掲げさせられる目標と、それに対して数字でくだされる評価」というシステムが大嫌いで、もう二度と戻りたくないのですが。
図らずも、願いごとを手帳に書き留めておく、というのが、これに似ていると思うのです。それはつまり、会社のためにやるのか、自分のためにやるのかの大きな違いで。
意識するしないに関わらず、私は自分が思っている、または思い込んでいる方向に進む性格でして。ああしたい、こうしたい、と思うと、自然とそうなるような言動をしていると思っています。
だから、書いておいたことが叶うように思えるのは、30%か40%かわかりませんが、すでに担保がされていることについて改めて書き記したことで「それを願っている」ことを意識したから、ではないかと。
つまり自分の願いの棚卸しをしておくことで、意識のどこかで、すべての言動がそれが叶う方向に行くのだと思います。
もちろん「これは絶対に無理」ということも人生にはありますけど。そういうのは、無数にある願いごとのなかで、本当に数えるほど。
霧が晴れたら、ふたりでジュースでも
(by スピッツ「ハートが帰らない」)