◆ インドを拠点に、インドから日本へ、日本からインドへ双方に人とモノが流れるようなお仕事をしていきますよ。
◆ インド映画を「印流」という立派な1ジャンルとして確立させますよ。
◆ インドに貧困層の女子のための教育と仕事を提供し、かつ、自分がずっと現役で働きながら老後を過ごせる施設をつくりますよ。
どこでなにをしていても、このゴールはずっとブレない。
写真は今年2017年の6月、イスラーム教の断食月ラマダーン中に訪れた、オールドデリーのイスラーム教徒エリアにある食堂。
座って整列して(させられて)施しの食事を待つ出稼ぎらしき労働者の反対側に、マザコンを隠しもせず母親をハグする太ったおっちゃんがいます。
インドって露骨だなあ、とこういうとき痛感します。
だからといってショックを受けたり真剣に悩んだりすることはもはやなく、今日のごはんもうすぐ食べられるね、よかったね、とあっさり受け入れていて、われながらインド慣れしてしまいました。
そんな私のなかでは、是非はともかく、すべての価値観がインドと非インドに無意識に分類されます。
いまお手伝いしているベンチャー系の事業はまったくもって非インドで、今までこれっぽっちも所縁がなかった業界に、相変わらず場違いな感じで入り込んでいます。
けれど、新しいニーズを掘り起こしていくプロセスは同じなのだということを日々感じていて、そして、人は、人とのつながりのなかでしかなにかを成し得ないことも痛感しています。
自分のことは、あれやこれや適度にできて、完璧には遠いながらもまあまあのところで手を打つことができて、人手を節約したいベンチャービジネスには私という人材はおそらくわりと使い勝手がいいのではないかと思っています。
でも、引き出しだけは多いものの、どれもエキスパートではない私が、これから自分でなにを成し遂げていくのか?
そんなことをずっと考えています。
大きな組織の中堅の一員という立場がなくなり、安定した収入もなくなり、まっさらといえばこれ以上ないくらいまっさらすぎて風が吹けば飛びそうな昨今ですが、きっと道は続いていくし、なかったら自分で作るしかないのですね。生きていくために。
今はただただ、現場にいたいです。コンスタントに年に3〜4回は渡航しているものの、それはあくまでゲストとしての短期滞在であって。同じ外国人の立場の友人はいても、地場の強力なコネクションはほとんどありません。
日本の生活は豊かでストレスが少なく、住みやすい国だとつくづく思いますが、私が拠点をおきたいのはやはりインド。どうにもこうにも、あの、なにもかもが暮らしにくい国でがちゃがちゃと毎日を過ごしていないと調子が狂います。
単身ならインドで食っていける自信はあります。ただ、就学年齢に達した娘の教育問題を考え、彼女がのちに困らないレベルの学校に行かせたいと思うと、経済面でもコネクション面でも、後ろ盾のない状況でインドに拠点を移すことはとてつもなくハードルが高いのです。
じりじりと時が経っていき、ときに歯がゆい思いもしつつ、いつか回り出す歯車のために、さあ今日もがんばりましょ!
こういうとき読みたくなる近藤紘一さんの本を紹介。
ジャーナリストとしての目線と、父親として、男としての目線が魅力的で、ご存命ならば絶対に会ってみたかった方です。
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