外国に住んでいると「日本人はシャイだ」とよく言われました。
私は「そんなこたぁ、ないわ」と反論していました。シャイという言葉の意味の取り方かもしれません。
シャイ=恥ずかしがり屋さん
だとしたら、日本人は別に恥ずかしがり屋さんではないでしょう。
たんに、本音をいわない、自分の思っていることをいわない、それがよしとされる文化があるというだけ。
表立って言わない分、ごく狭い仲間内では言いたい放題。まあ、どこの国のどの民族でもきっと程度の差はあれそういうとこ、あると思いますけど。
私は自分の国が好きですが、この「表立って主張しない」人々とのおつきあいには子どものころからずっと馴染めませんでした。
子どもが生まれて、自分の意志とは別の子ども由来の社会的意義ができて初めて、「あたりさわりなくこなす」という技をすこしずつ覚えてきたように思います。
でもやっぱり、思っていることを幾重にも包んで婉曲に高度に言語化する人たちとは、深いおつきあいはできないなあ。
意志がわからないから、こちらも同じようにあいまいに対応するわけですが、その裏で私には意志があるので、出ないようにするのに疲れちゃう。
争いや小競り合いを避け、波風立てずに暮らしていくには必要な技なのだと思いますが。
「けっきょくなにがいいたいの?」
「で、好きなの嫌いなの?」
この人好きだなと思い、全開にしているいっぽう、いつまでも一枚も二枚もなにかを挟んで接してくる相手とは、結局、長続きしない。
女優さんやタレントさんにしても、マジョリティの人気者というのも、日本らしいなあと思います。
いたって普通の顔立ち、身体の線がない。素材はまったく主張しないのに、すっごく細かいところに手がこんでなにかが仕込んであるとか、流行のメイクやアイテムをいち早く取り入れて「雰囲気美人」ではある。
日本の女子が好きなみんなの「人気者」の女性、インドではまったく受け入れられず、埋もれて終わるなと思います(良い悪いがいいたいわけではない)。
いつだったか、AKBの某タレントが「私は神セブンとか興味ない。後ろの列で黙って笑っていて、『あの娘よく見たらカワイイな』ってわかる人だけに思ってもらえたらいい」ということを言っていまして。
すっごい策士やん! 嫌いだわーこういう女!
と思い切り拒否反応が出ました。
10代のころいました、こういう、よくわからない笑みを浮かべて押し黙っていて、でも最後においしいところを全部持っていく女が!
大人になってもそういう人に出くわすことはあります。とにかく、黙っている、または、どうでもいいことしか言わない人には、なるべく近づかないようにしています。気持ちよいおつきあいはできないし、こちらにいいことはないから。
さてとても気持ちのよい朝です。
トランプ某の”Jerusalem as the capital”という発言が繰り返しニュースに出てきます。
“capital”の「キャ」のaの母音の発音が、もー、めちゃくちゃ、キライ!