アイアンマンがゴーグルの下で、ピピピッとデータを解析して状況把握するじゃないですか。
インドで誰かが目の前にいるとき、それが誰であれ、そんな感じでスキャンする癖がついています。そんなことを続けるうちに習得した能力のひとつに、顔相を見る力があります。
骨格、肌の色つや、口元、目元、いろいろ見ますが、最終的には目にすべてが表れるなと思います。そこに持ち物や着ている服、話しかたなどを加えてどんな人か判断します。
インドの人は目鼻立ちがはっきりしているうえに、貧富の差が大きくて社会的立場が見た目全般に表れるので、インド慣れした人にとってはあまり特殊能力でもなく、みなさんだいたい分かるんじゃないですかねー。
だからこの能力はインドで発動することが多かったのですが、もしかしてこれはインド人に限らず日本人やほかの国の人にも当てはまるのかも。
会ったことはなくても、見た目以外の情報があまりなくても、写真を見たときに感じた印象が、あとになって当たっていたなあと思うことが最近よくあります。
日本の場合、たいがいの人は、見るからに悪人とか、いかにも荒んでいる、というわけではなく、みんな常識的ないい人そうに見えます。社会が(よくも悪くも)停滞して落ち着いていて、あからさまな自己主張をする必要がないからか、誰もが知らず知らずのうちに本音を隠すことがうまくなっている。
根っからの悪人は少ない。でも隠された部分に嘘と本当が入り混じっているなと感じることはある。優しい気持ちとずるい気持ちとか、純粋な気持ちと不純な下心とか、そんなものがミックスされていて、普段はポジティブなほうを見せているけど、ふとした瞬間にネガティブなほうが口元や目元に出る。
人は自分が見たいものを見る。そして見せたいものを見せようとする。
本当の姿からはちょっとねじれた部分が関わり合って、人と人の関係がうまくいったりうまくいかなかったり。でも結局、偽りの姿を見たり見せ続けることは誰も幸せにしない気がする。
インド人は顔に性格がそのまま出る人が多いし、思ったことがわりとすぐ顔に出るので、この人近づかないでおこうとか、この人合いそうだなというのがわかりやすのだけど、日本人はそんな面がちょっと難しい。
閑話休題。
なにかを抱えながらも押し込めている、よくいる感じの子だと思っていた。
ある日、植物の息遣いがむせ返るような緑のなかで、感覚と感情と理性がすべて一直線につながった大人の顔になっていた。その砥石でシャキーッと研ぎ澄ましたような顔を見たときの、雷に打たれたような衝撃は忘れられない。
暗闇にぼんやり浮かぶ、見たことないような不安げな顔を見たときは、いったいなにが起きたのかと、こちらもひどく動揺した。その顔が夢にも出てきて心配で心配でたまらなかった。
顔には全部出る。さなぎから蝶へ。美しい生き物のメタモルフォオゼを私は見届けたい。
さて、私のこんな顔相見はただの経験値ですが。
本気でいろいろ視える友人によると、夜、人だらけの雑踏で待ち合わせをしているようなときでも、私がやってくるのは遠くからはっきり視えるんだそうです。
なにが視えてるんだか知りませんけど、どうせギラついてるとか圧が強いとかなんとか、そんなところでしょう。笑