私がこよなく愛するインド古典舞踊バラタナティアム。
力強いステップ、複雑なリズム、鬼気迫るかけ声、そんな純粋舞踊の部分も好きなのですが、なによりも心惹かれるのが、もうひとつの構成要素「アビナヤ」といわれる演技・パントマイム・感情表現の部分です。
喜び、怒り、笑いなどの感情を表情やしぐさで表現しながら、演奏される曲の歌詞と身体表現で物語をつむぎます。私は歌詞の意味が分からないので、上演前の演目の解説などから概要しか理解できないのですが、それでも、踊り手の表現がスッと心に入ってくることがあります。
心に残る舞台はいくつもありますが、そのひとつを紹介します。
この数年追っかけをしている若手のダクシーナ・ヴァイディヤナタン(Dakshina Vaidyanathan)さんの、2016年1月、チェンナイのKrishna Gana SabhaとBrahma Gana Sabhaという劇場で行われた演目です。2回、観ちゃいました(ちなみに彼女は今年ついに、一番格式が高いといわれる劇場The Music Academyの舞台にソロで立ちました。素晴らしかった!)。
それはインド2大叙事詩のひとつ「ラーマーヤナ」の一節でした。「ラーマーヤナ」はざっくりいうと、ラーマ王子とその妻シータ姫、シータ姫をさらう魔王ラーヴァナ、ラーマ王子を助ける猿神ハヌマーンなど魅力的な登場人物と示唆に富んだエピソードが、インドのみならず東南アジア一円にも広く親しまれている壮大な物語です。
そのなかで、シータ姫と結婚してまだ日が浅いラーマ王子が、策略により森に追放され14年間すごさねばならない、というくだりがあります。
ダクシーナさんの演目は、「森の生活は厳しいものだ、おまえは王宮に残れ」というラーマ王子に、「いいえ、私はあなたの妻。どこであろうとご一緒にまいります」というシータ姫の心情をひとつひとつアビナヤで表現していくものでした。時間にして10分程度でしょうか。
残れといわれ、最初は嘆き、そして怒り、ラーマ王子に抗議するシータ姫。少し落ち着いて、一緒に連れていくように冷静にラーマ王子を説得するシータ姫。そして最後は、頭から妃の飾りを下ろし、ネックレスや腕輪などの装飾品も外し、ラーマ王子の手をとって、さあ行きましょう、と促します。
ラーマ王子に手をひかれながら、王子と一歩一歩合わせる足どり。途中、ふと王宮をふり返るシータ姫は、「いいえ、もうあそこには戻らない。きらびやかな生活などすこしも惜しくはない、王子以外になにもいらない」と首をふり、笑みを浮かべて森へと去っていきます。
バラタナティアムのステージには、通常、舞台装置はなにもありません。このときもダクシーナさんは身ひとつでステージにいました。それでも、王宮があり、宝飾品があり、愛しいラーマ王子がいて、手に手を取り合って森へと歩いていく、その様子がはっきりと見えました。怒って泣いて最後はラーマ王子の説得に成功して、これから不便な森の生活になるというのに、これ以上ないくらい幸福な妻の微笑みを浮かべていたシータ姫があまりにも愛おしくて、2回観て2回とも号泣しました(笑)
アビナヤはただなんとなくする演技ではなく、表情にしても、目や眉の動きまで細かい技術がたくさん使われるものです。とてもとても私が生涯で習得することは不可能なのですが、せめて、このような魔術をできるだけたくさん観たいなあと思います。いろいろ困ったこともあるインドなのに、こういう瞬間を見られると、ほかのことはもうどうでもいいといいますか、結局、惚れた弱みといいますか。
インドにいると、日本では考えられないような事態がいとも簡単に起きるので、「えっ!」とか「ちょっと待て!」とか「ゆるさん!」とか「ギャーッ!」とか「きゃーっ♡」とか「うわーっ!」とか、さまざまな感情がモロに顔に出る私です。日本人はアビナヤが不得手といわれるけれど、インドに行ったらきっと上手になります。
ダクシーナさんの動画あまりいいのがないのだけどお母さんのラーマさんがアビナヤについて語っている動画を貼っておこう。バラタナティアムは動画で観るもんじゃありません、ライブで観ないとぜんぜん良さがわからない。